Our Journey
挑戦の歴史
明治16年(1883)
昭和7年(1932)
- (株)林原商店に改組。(7月10日)
昭和10年(1935)
- 酸麦二段糖化による水飴の製造法を開発。
昭和11年(1936)
昭和18年(1943)
- 社名を(株)林原商店から林原(株)に変更。
昭和20年(1945)
- 空襲により全工場を焼失。
昭和21年(1946)
- 工場を再建し操業を再開。
昭和22年(1947)
- (財)理化学研究所尾形研究室の研究・製造業務を引き継いで(株)日本感光色素研究所を設立。
昭和25年(1950)
昭和26年(1951)
- (株)日本感光色素研究所が、感光色素を有効成分とする医薬品「錠剤ルミン®A-50γ」「錠剤ルミン®A-100γ」を発売。
昭和34年(1959)
昭和35年(1960)
- 工場を新設し、酵素糖化法ぶどう糖の製造が日産180tとなる。
昭和37年(1962)
- 水飴・ぶどう糖の拡販のため、林原商事(株)を設立。
昭和40年(1965)
- 酵素糖化法によるマルトースの製造法を開発。
昭和42年(1967)
- でん粉の枝分かれ部分を切断する酵素、イソアミラーゼ(枝切り酵素)を発見。
昭和43年(1968)
高純度(99%以上) マルトースの製造法を開発。 - マルチトールの製造法を開発。(1979年にアニッチ社(伊)へ供与)
昭和44年(1969)
- 砂糖の特性を備えた水飴「カップリングシュガー®」の製造法を開発。
昭和45年(1970)
- 研究開発型企業を目指して(株)林原生物化学研究所を設立。
昭和46年(1971)
- シクロデキストリンの製造法を開発。(1987年に塩水港精糖株式会社へ、1998年にノボ ノルディスク社へ供与)
昭和47年(1972)
- 接着性や皮膜性に優れる水溶性多糖プルランの製造法を開発。
昭和49年(1974)
- 食品用粉末マルトース「サンマルト®」を発売。
昭和51年(1976)
- 岡山第二工場内に、プルラン棟を竣工し販売開始。
昭和52年(1977)
- 酵素処理ステビアの製造法を開発。(1979年に東洋精糖株式会社へ、1982年に山陽国策パルプ株式会社へ供与)
昭和53年(1978)
- ヒト細胞インビボ増殖法による各種生理活性物質の工業的製造法を開発。
昭和54年(1979)
- ビフィズス菌を増殖させる機能をもつ乳糖果糖オリゴ糖の製造法を開発。
昭和56年(1981)
- 無水結晶マルチトールの製造法を開発。(1982年に東和化成工業株式会社、1982年にアニッチ社(伊)、1992年にロケットフレーレ社(仏)へ供与)
昭和58年(1983)
- 創業100周年を迎える。
昭和60年(1985)
- 岡山市藤崎に藤崎細胞センターを竣工。
昭和62年(1987)
- 糊臭が少なく上品な甘味質の糖質マルトテトラオースの製造法を開発。
- 岡山県の吉備高原地域テクノポリスに、吉備製薬工場を竣工。
昭和63年(1988)
- インターフェロン-αの製造承認を受け、大塚製薬株式会社・持田製薬株式会社より発売。
- (株)日本感光色素研究所が岡山市藤田に藤田工場を竣工。
- 皇太子(現上皇)ご夫妻が吉備製薬工場をご視察。
平成元年(1989)
- 酵素処理ルチンの製造法を開発。(同年に東洋精糖株式会社へ供与)
平成5年(1993)
- インターフェロン-α製剤「オーアイエフ」についてB型肝炎への適応拡大を受け大塚製薬株式会社より発売。
- 低還元性の糖質マルトシルトレハロースの製造法を開発。
平成6年(1994)
平成7年(1995)
- 新規生理活性物質IL-18を発見。
- 高純度含水結晶トレハロース「トレハ®」を発売。
- 化粧品用安定型ビタミンC誘導体「AA2G®」を発売。
平成9年(1997)
- スイス・ロシュ社とのバイオ技術に関する特許係争に勝訴。
- 口中清涼プルランフィルムに係る契約を米・ワーナーランバート社と締結。
- (株)日本感光色素研究所が岡山市藤田に藤田製剤工場を竣工。
平成11年(1999)
- (株)林原生物化学研究所を存続会社として、(株)日本感光色素研究所などを吸収合併。